琴美がいなかったらこの学校にいることはできなかったのかもしれない。
事実、1年のときには、小沢に対する傷害で謹慎処分を喰らっていたが、そのときに感じたことは、小沢と水上の間には琴美という存在があるかどうかで大きく変わった、というのだ。
ま、小沢のしたことが高島ざくろの精神を追い込み、自殺に追い込んでみたり、間宮卓志を脅迫した元凶とすれば、物語にある種のエンディングを迎えるために自殺をした、という解釈もできなくはない。
実際には、ざくろは、人類救出のための儀式のためにスパイラルマタイ(実態は人身御供)をさせられることになっている。
日常を終わらせるための自殺。
それを行人も卓司も誤解しており、それが最悪な最期へと繋がる。


勝者と敗者。
その間には壁が立ちふさがっている。
本来、人にはそんな隔たりもなく、自由気ままに過ごせれば良いのにと思うのだが、実際には卓司の言うとおりに、この世は、不平等で強者の言う通りに不自由である。
生きる権利はあるが死ぬ権利もない。自ら死ぬこともできない。
これには、自分で土地を持ち自給自足で晴耕雨読の生活を選択したら良いのではないかという気がしたが、この際良いです……。
惰性で生き続けることを選んだ行人と信者たちを救済して自らも救済されていった卓司。
はたして、どちらが良い人生を歩めるのだろうか。
換言するとどちらが密度濃い人生を歩んでいると言えるだろうか。
この問いかけも彩名に言ってみれば愚直であり、「良い」って何?「密度濃い」って何?と逆に訊き返されてしまうような……。

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