紆余曲折あり、村が半壊しそれによってから肉を食う羽目になった。
肉を隠していたとして身分が奴隷に転じた。
全ては神や御廻様の意思なのだという仕組みを立ち上げていく。
全ての人、産まれて人が彼女の恨みの対象となる。村人が忘れたとしても私だけは忘れない。
このときに御三家体制を整えたり、御三家の名前を、堂河内から阿式に六車から田儀に変更になった。
長い独白の中で
すべての来待村人には「太歳」の肉が混じっている。
不老長生にならなかったとしても、太歳の肉の効力が衰えていっても、喰れてバラバラになった「太歳」は喰った人間の肉体に潜んでいる
たとえ……私が産んだ娘が……鬼に選ばれても……私はその肉を喰らうでしょう……
例外はない……この原を痛めて生まれた娘であっても……ソレはこの村に連なる忌まわしいモノなのだから……
という部分は、美壽々が十子に言っていた「十子は十子であって十子ではない」という様なことを言っていたように思うのだが、これはそういうわけか。

正彌は、実の母であるみどりを相手が母親であるという事実を認識できないまま犯し、孕ませた。
分家の老婆の巫女の代わりとして巫女係をしていたみどりの憐れな顛末。
マサは、そうしてできた子供を取り替えたのである。
憎しみの連鎖を止めるには一体どうすれば、良いのだろうか。
美壽々は太歳が出てこなければこの村はこうなることもなく泰平な村が続いていた、と述懐した。
流されやすい村人が一番の種なのだろう。
思考を止め、各々が周りに流されないで実行すればこういうことにはならなかったのではと思う。
だが結局言うのは簡単でも、実行に移すのは非常に難しく、私もいざそういうときになればどうなってしまうのかわからない。

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