全体を通じて、年端もいかない少年少女らを洗脳していくというのは児戯に等しいほどに簡単な事なのかなと感じた。年端のいかない子供たちを洗脳し自殺に追いやったのは、間宮卓司だ。その洗脳に抗って論破しようとするも、陰謀論者のように聞く耳を持たず、相手の話の腰を折るなんて行為もお手の物だ。洗脳された人間の哀れな顛末というべきか。しかし、卓司の言うことにも一部だけど、同意する部分もあった。だが、これは詭弁というか、自分の思っていることとは別のエッセンスを組み込み、反対意見がないということは賛成したも同然と反論の余地を与えない。そして気がついたときには、先生や生徒たちを巻き込まれていくのだろう。
また、ドゥームズデー・カルトという人間の絶滅を信じる信仰があるのだが、それを彷彿とさせた。

生きるとは罪を重ねることに等しく、人間や生物たちは食べ物を植物や動物から摂取している以上は
常に罪から逃れることができない。
絶望や幸福を生きる事の理由にするべきではない。
生きる事の意味は、ただ生きる事であり、それ以外の意味はない。
ということを彩名や「終ノ空」全体で伝えたかったのではないかと思う。
作中の描写でもあったように、集団の中で感じる疎外感の辛さはまるで世界から見放されてしまったかのように錯覚する。
それを感じたときにどうするのかで人の人生は大きく変わるのだと思う。
行人遍

本作の主人公。
高島ざくろの自殺や小沢裕一の他殺について、大いに盛り上がるクラスメイトに対し、極めて冷静に対処する。
その男気に惹かれたのか琴美は行人とともに行動するが、行人は自身と小沢の違いは琴美がいることだ。彼女が支えがなかったら今頃、凋落して小沢と共に学校を去っていったかもしれない。
また、日頃の恩を感じていたのか、自分が最後に会ったざくろの自殺で精神が不安定になる琴美に一蹴する場面もあった。
ざくろ遍

自分を生み育ててくれた親は、ヤクザからお金を借りており、それがきっかけで家庭や学園生活も崩壊。
ヤクザからはウケの仕事をさせられていたようだ。
小沢からは、その様子を見られており、性行為を強要されていた。
そのような凄惨な生活を送るざくろの元に、小沢の死や近いうちに会うことになる、との旨の手紙が送られてくる。
亜由美と宇佐美は、世界の滅亡から救済するためにスパイラルマタイ(飛び降り自殺)を決行した。
琴美には最期にあった。
意味深長で後から言われると自殺をほのめかすことを言った彼女は、その晩、飛び降り自殺してしまう。
やす子遍

本作の裏ヒロインという位置づけかなと思った。
父親に肉体、精神、性暴力ともに受けたやす子は屈辱に満ちた、鬱積した思いを抱えていた。
そこに現れる琴美という、無垢で正義を曲げない毅然とした性格に彼女は琴美に対し、羨望を感じていた。
弱肉強食の世界の中で生き抜いてきた、やす子は卓司と邂逅したことをきっかけにしてリリルも自分の脳に浸蝕してくる。
そうして、自分が死ぬことで、皆の影響がなくなるように仕向けた。
卓司遍

ダークヒーローでもあり、人生とは何か?愛とはなにか?を皆に説法する。
小沢や武井に恐喝されていった卓司は、徐々に精神に異常をきたす。
妄想上の産物が恰も、実在しているような感覚におそわれる。
狂信者から崇められ、自己万能感に酔い痴れる彼は、ついに禁断の扉を開けてしまう。
一挙手一投足、言葉の節々に至るまでも矛盾に満ちてくる彼は、その矛盾の矛先を集団自殺と結び付けようと画策してしまったのか、はたまた、リリルの脅威を操り、脳を浸蝕することでその支配力を増していったのか。
世界は終わるが、救済されたければ今ある姿から縁を切り、新たな世界に旅たとう、というニュアンスで自殺を勧告する。
何が因果か最期にはリリルと一つになれたようだった。
恐らく誰しもが一度は、人の一番上に立ちたいと憧れたことがあるのだろうと思う。それを体現してくれるキャラクターだという印象を受けた。
演説のシーンでは、純粋に世界滅亡から人を救済したい心からくるのだろうか、それとも、嘘八百で詭弁ともいえるのだろうか。
のちに、救済の言葉ではなく、信者が求めているからやってしまうのだとか。
この辺からは、もうみんなで一緒に死にましょう、という心音が感じた。
生きている人物は生きているだけであり、価値は全くない。そして亡くなった人間は数が並びたてられるだけだ。
琴美遍&彩名遍


どちらもメインヒロインであり、また時空の狭間で会おうと言い、消えていく彩名と比べて、琴美は延々にとどまり続ける現在を選んだ。
琴美の性格は、行人と瓜二つだ。
それなりに学園生活を謳歌している彼女は、ノストラダムスの大予言からくる小沢の死やざくろの死の噂に心を奪われず、生きる意味や価値も
深く考えることもない。
それ故に卓司の世界が滅亡するという予言については眼中にない。信じるべきじゃないのだという考えが彼女の根底にはあり、それを推し進めようとする場面もあった。
したがって、そういうことが重なってやす子や卓司からは疎まれている存在だろう。
1,2年前から琴美のことを知っていたやす子からは、特に疎むべき存在にも拘わらず、好意も抱かれていた。
恐らくそれは、小沢を不良から救出したように、凄惨な人生を送っていたやす子自身も救出されたかったのだと思う。
自殺する直前のざくろと会ったのは彼女であったので、良心の呵責や罪悪感に身を滅ぼしかねない。
しかし、その彼女の態度に一蹴して
自惚れるな
と言われ、我を取り戻したようだ。
行人により強姦未遂事件からは救われた琴美。
琴美は、年少期にペットが亡くなったときに、行人と一緒に歩いていた記憶を胸に彼に背負わされていく。
彩名は、空を見上げられる屋上によく潜んでいた。
どのルートを選んでも良く絡んでくる。
死とは?永遠とは?記憶とは?
他のキャラクターに現実の解釈について考えさせられるというコンセプトのキャラクターなのかと思った。
行人と同じクラスの人だが、殆どクラスメイトからは話題に上がらない。どちらかというと蚊帳の外に振舞われていた彼女だが、飄々とすぐしている。
飄々とした彼女の態度に嫌悪感を感じていた卓司。
彼には、制服を脱がされ、真夜中の繁華街に連れていかされた。
3人のサラリーマンに囲まれ、ふたなりであることをばらされた挙句、性的な行為をやらされるという卓司が考えていることを見せることで、自分自身は一切手を出さずに傍観者でいる。つまり、いじめの加害者側になったつもりでいる。
一切手を汚さずにペニスから精を出すことで、第三者視点から見ると、いつだって自分は被害者側なんだから加害者側に何をしても当然であり、それを傍観者の立場でいる、という卓司の深層心理を彩名は語っている。
幸せに生きなければならないという信念が本作の世界には蔓延しているように思えた。
その世界においては、幸せに生きる事に念頭に置かれているが、皆がそれを享受できるわけではない。
勝者がいれば敗者もいる。
勝負に負け、敗者と成り果てたものは、全てを奪われ空虚な世界が待っている。
だが、生きる価値とはいったいなんであろうか。
生きる価値とは生きようとする心がけであり、意志なのではないかという行人の言葉の通りだと思った。
言い換えれば、生きようとする意志。
でもそもそも、生きる事は生きる事であり、それ以上でもそれ以下でも無い。
朝起きて夜寝る。それで良いじゃないか。
たとえ、それが動物と同じだよと言われても。
生きる価値があるから生きられて、無い人は死ぬしかないという二元理論は、人を奈落に陥れる。
自己研鑽せずに自分の立場に甘んじていれば、勝者のままでいることは不可能である。
サバンナのトラやライオンも失墜すれば、今まで下にみていたゾウやキリンに食われてしまうことになりかねない様に、その立場を守るために人は努力をする。努力が認められれば祝福されるが、認められなかったときは、努力不足だと烙印を押される。
最後の琴美と邂逅で
一連の物語は
- 行人が見ていた長い夢
- 永遠にこの物語を続けていく地獄
という2点の視点が考えられたが2の線が濃厚である。
永遠にこの物語を終わることができない、地獄に苦しむことになるのだろうか。
何億年経っても無限の前では一瞬の瞬きにすぎない。
その無限の中で行人は、無限の中で自覚もないまま生きていくのだろか。
俯瞰的に見れば、永遠に生きられるのだから別にそれでも良いとも考えられるが、近視的に見れば、幸せに暮らしたとしてもいつか、滅び去っていくのではないかと考え込んでしまう。
これでは、地獄そのものと言えるだろうし、われわれもまた地獄人住んでいる。
いつ死ぬのか、また死んでしまえばどうなってしまうのか判然としない、地獄の中に生きていると思う。
まぁ、個人的には死んだ後には存在自体が無くなってしまう、というのが私の思うところだ。

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