相手が神や仏なら許すかもしれないね。
けど、人を怨むのは同じ人間しかいないんだ。死んだ人間が生きている人間を許すことは金輪際ありゃしない。
怨霊だ祟り神だと言うけれど、しょせん元は人間だよ。
呪いというのはね、この世に人が生まれたときから始まっているんだ。だから、目に見えないだけで仕組みはある
菊乃の言葉だが、覚悟が違う。
さあ、おまえの出番だよ。父親譲りの呪の業、こんなときのために磨き続けてきたんだろう?
このニツ栗菊乃のために、おまえの験力を存分に振るっておくれ。
おまえの名前は…… そうさねえ
蒔山太夫、とでも名乗るのがよかろうよ
ここで初めて「蒔山太夫」なる言葉が出てきた。
erewhonに登場してきた永見 美壽々の場合、村の因習を創り、村全体で貶めようとする復讐劇だったが、今回の菊乃は恨みを受ける側だったか。
実はここまでがOPだったのだ……という展開。いや、ゲームタイトルから大体予想は出来たが、なんといっても怒涛の展開には驚いた。
吐月 完
仇敵を討ち滅ぼそうと行く手を阻もうとする白熱戦に痺れるような思いがして楽しめた。

晴茂が亡くなった地蔵島にて「儀式」を執り行う蒔山太夫と吉延のシーンから物語は始まる。
それが後世にも続く怨念を何倍にも増幅させることをたぶん彼女は知っており、それでもそれを成し遂げたのは、自分の保身のためであった。
自分が呪術師としてけしかけた縁を周りの人を犠牲にすることで、自身は無の世界に行くという算段。
晴茂の怨霊が地蔵菩薩の姿をしているわけは、蒔山太夫がした儀式によるものなのか。
地蔵菩薩とは、地上に住む人々を護るため、釈迦如来入滅後、弥勒菩薩がこの世に現れる56億4000万年後までの無明長夜の闇路を照らし二仏中間の我らを救ってくれる方なのだと言うが、一説によれば、地獄の閻魔大王の化身だという。
そういう部分から考えても、優しい面影の裏には地獄行が決定している二ツ栗一族の趨勢が手に取るようにして分かる。
実際には閻魔大王というのは地獄の代名詞という意味で語られることがあるが、その姿はあくまでも審判。実際には不動明王の化身や観音菩薩の化身などが勤める十王という概念である。
だから実際には、お慈悲を何とかして与えようとしているという救いの仏なのである。
私も43歳になったらどういう姿になっているんだろうか……。なんだか、病気が進行して歩けなくなってしまい、生活保護みたいになっていたらとかを考えてしまう……。考えても仕方がないのは承知の上だが、もしかしたら死亡しているのかもしれへんね……。
狗神の血を引いているカノと鬼の血を身に宿している偲がほんの些細な決意で、この闘いに「終わり」を告げる。
この展開には胸が熱くなるのを感じつつ、誰かがその呪いを一身に受けなければいけないのだと思えば、暗澹とした思いになった。
幸せな状態の記憶は …… たとえ瞬間だけであったとしても、この人生を耐える糧になるってことも」
今の自分が幸福だの不幸だのって定義を当てはめるのはやめとこうぜ。
それこそ呪いになるし、阿呆らしいだろ」
という言葉が琴線に触れた。
全ては、元に戻った。2人だけが生還して……。
文鳴 啾蔵
こちらのルートは吐月と文成が一連托生して、共通の敵である刑部を斃すことを目的とする。

幼い彼を身を粉にする面持ちで見守り、彼自身を守るために呪術を教え込んだ槐という存在。槐の木は吐月たちが隠居していた古びた家からも見ることができた。若かりし槐が申仏島から身投げして漁師に拾われたが、名前は明かさなかった。代わりに近くにあった槐の木を見やり、私のことは”槐”とでも呼んでもらおうか……と言った。ここから彼女のことを槐と呼ぶようになったらしいが、実のところ、名前を明かさなかったのは現在進行形の問題を抱えていたからであり、明かさなかったのではなく、明かしたくても明かせなかったのだろう。
女傑である菊乃は、ただならぬ妖気を醸し出している。幼い時から一緒に暮らしていたシヅを裏切るような形で、二ツ栗一族の後妻になった。のちに一族のほとんどすべての人がシヅの呪いにより祟り殺されてしまうが、彼女だけは平穏無事であった。菊乃こそが、蒔山太夫なのではないかという文鳴と刑部の推理は如何に。女傑からそのことを聞いたのは間違いなく票部であるし、また吐月ルートでは蒔山太夫に扮した人物を刑部だと見抜いてもいたようだ。何が言いたいかというと、女傑と刑部だけの密会というわけだが、刑部が蒔山太夫の姿に扮していたのではないかと思ったが、それは無さそう。男が女に扮していたというのはちょっと無理がありそうだしな……。
亡くなった菊乃は、未だにシヅの呪いを誰かに擦り付けようとしているが、それは偏に地獄行を避けるためである。誰かの魂を地獄行にすることで、自分は無の世界に行けるというわけだ。呪われ、呪い返しを行った呪術師の末路は豪が業を呼び、無間地獄に堕ちるのみであるが、その理を覆してみせた。
理由はあえて避けるが、刑部が文鳴を呪殺しようとし、完遂したのはこのあたりにも現れてくる。
誰かは誰かの意志により人生を狂わされていく。それはまさしく宿命というべきことなのか。
今生きている人間(おれたち)の可能性(ろくでもなさ)を、舐めるんじゃねえぞォォーッ
痺れるな、怨霊に放ったその一言。
恨みや妬みというものは今はそこら中にある。そのうえで、文鳴は怨霊にスマホをかざす。効果は抜群だった。
全ては、元に戻った。島に二ツ栗一族の珠夜や歓楽街を残して……。
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