【廻歴編⑤】鬱っぽいけどプレイ Erewhon#19

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紆余曲折あり、村が半壊しそれによってから肉を食う羽目になった。
肉を隠していたとして身分が奴隷に転じた。
全ては神や御廻様の意思なのだという仕組みを立ち上げていく。
全ての人、産まれて人が彼女の恨みの対象となる。村人が忘れたとしても私だけは忘れない。
このときに御三家体制を整えたり、御三家の名前を、堂河内から阿式に六車から田儀に変更になった。
長い独白の中で
すべての来待村人には「太歳」の肉が混じっている。
不老長生にならなかったとしても、太歳の肉の効力が衰えていっても、喰れてバラバラになった「太歳」は喰った人間の肉体に潜んでいる
たとえ……私が産んだ娘が……鬼に選ばれても……私はその肉を喰らうでしょう……
例外はない……この原を痛めて生まれた娘であっても……ソレはこの村に連なる忌まわしいモノなのだから……
という部分は、美壽々が十子に言っていた「十子は十子であって十子ではない」という様なことを言っていたように思うのだが、これはそういうわけか。

正彌は、実の母であるみどりを相手が母親であるという事実を認識できないまま犯し、孕ませた。
分家の老婆の巫女の代わりとして巫女係をしていたみどりの憐れな顛末。
マサは、そうしてできた子供を取り替えたのである。
憎しみの連鎖を止めるには一体どうすれば、良いのだろうか。
美壽々は太歳が出てこなければこの村はこうなることもなく泰平な村が続いていた、と述懐した。
流されやすい村人が一番の種なのだろう。
思考を止め、各々が周りに流されないで実行すればこういうことにはならなかったのではと思う。
だが結局言うのは簡単でも、実行に移すのは非常に難しく、私もいざそういうときになればどうなってしまうのかわからない。
八千代は自分の子とみどりの子を取り替えられた事実を知る由もなく虐げる。
子どもに罪はない、と世間の人は言うが、対象となる人が生きているときはその人を責めることはできるけれども
対象となる人が死んだ場合にも同じように、子供には罪はない、と言い張ることができるのか。
私には無理かもしれない。
子供は親の姿形にそっくりになればなるほど、傷つけたくなっていく。
ここは、どうやら過去、現在と未来をつなぐ不思議な洞窟みたいであった。
あったかもしれない未来、あるはずもない未来。
因果によってそれらが滅茶苦茶になる。ならない?
正彌さんと会い、話をした。
正彌さんが犯した相手のことも洗いざらい喋った。
そして、彼は自分を守るために己を犠牲にして手に入れた太歳を服用させるみどりに直談判した。
だが冷静な判断ができない状態であったみどりは、斧で殺してしまう。…
それくらい逼迫した状態なのだろう。
そんな、同じ人がいるということになるが、大丈夫か?
幼い子供(正彌)で、片や成人の姿。
しかも幼かった子は死んで、正彌は消えていった。父親殺しのパラドックス。
大丈夫だ問題ない。
結局この世界でも姫様を救うことはできないのか。

稀世良じゃなくてか。……
この世界において、十子は高山から突き落としたサエ(もしくは、十子とサエのどちらかを嫁御前に選択しなければならなかったのか)を最期の最期まで気を配っていた。

なんだろう。
この姿を見ると泣きそうになる。
生きてほしい、その言葉が今や幸仁をいたぶり苦しめている。

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