そして、物語は最後のネタ晴らしとなっていくのである。
その子は、メルシンの王女「サロメ」だった。
サロメとは夢に出てきた、ジャンと密会をしているシーンで初めて出てきた子か。はじめ、誤植かなと思っていたが、アレにも実は意味があったのか。元々の名はなく、只100人目の孤児だという理由だけで、「サン」と名付けられた。
サロメという少女が城から逃げてきたところを発見したことで3人は仲良くなる。
光と陰
どっちが陰でどっちが光なんだろう。
サロメは横暴な王女様に育っていった。
演技、礼儀作法も出来が悪く、サルテ(サン)の方が出来が良かった。
だからか、急に演技がよくなったのは。
大根役者から一気に主役を務める役者にまで成長を遂げたのは2人1役を演じていたからなのか。

火掻き棒
これはどんどんエスカレートしていき、火であぶった蹄鉄を身体に押しつけられるパターン……。
国内に蔓延る孤児たちの不法取引。
それが益々、国家ひいてはそれを司るサロメに対しての反抗心を掻き立てる。
国家権力に物を言わせて、孤児だけでなく、マリーも手にかけようとしている。
その瞬間から、サルテに黒い憎しみの焔が灯ったのである。
ガルニエは
ただ、儂とお前の利は一致しているはずだ
と述べた。
クーデター、国家を転覆させるための準備は整った。
クーデター、国家を転覆させるための準備は整った。

顔をやけどで舞台に立てなくなってしまった様子であったが、ガルニエはそんな彼女を他所に自分のしたい欲を殴り捨てずに次のステップにいこうとしていた。
そしてこのゲームの冒頭であったシーンへとつながるのか。今までされたことすべてをやりかえしてやる。
凌辱のすべてを、ここに刻み込んで。

このセリフは、「サロメ」から「サルテ」に対する憎しみを込めた一言だったのか。

やってやれ。
自分がされたように。
憎しみの連鎖の完成である。
だが、そうでもしないと解決できないこともあるのは明白な事実である。

結局、マリーのこともあんまり好きじゃなかったとサルテ。
理由は、自分の汚い部分がありありと見せつけられる気がするから。
私以外にも、底辺の人生を這ってる娘がいるんだって思ったら……
『エルフェンリート』でもこんな言葉があったような。
自分の身の回りの物、親、環境すべてを憎く思っていたサルテは、マリーの自分の身体を擲ってでも生活費を稼いで孤児たちに注ぎ込むという自己犠牲の塊を見ているとこちらの気が狂っているんじゃないか、と思ってしまう自分がいることに気づいた。
クルーンとは、サルテ自身のことだったのか。
なだら、あそこにまで演出にまでこだわっていたんやね……。
そりゃ知ったか乙みたいにサルテが反応しちゃうのも頷けるわけだ。
塵の物語。
塵芥のような悲劇を御楽しみいただけたたのでしたらば、幸いです。
初めは、嘘が嫌いな惨めなりにもうまく周りの人と溶け込めているかのように思えた今作。
だが、世の中には、嘘と言っても人を欺くような嘘ばかりではなく、優しい嘘もあるのかもしれない。
嘘でもいいから、サルテとサロメが両手を取り合って歩んでいく未来もあったのかもしれないと思うと、やるせないという思いがした。
