終ノ空remake 卓司END ≪電波ゲームプレイ日記≫

エロゲケロQ&枕
やす子編では、琴美に対する羨望が感じ取れた。
また不良を木っ端みじんに斃し、小沢を救出して行く場面をみて、横山の心をつかんで離さなかったように思う。
その様子が忘れなかったのであろう、琴美だけはこの件に関しては極力触れさせない様にするという少し感動系の話でもあった。

物理(?)の作用反作用の法則での一コマ。
学校の教師も生徒も皆狂っている。
進学校だとは思えないほどのありさまだが、多分、卓司の妄想でのことなのではないだろうか。
なぜなら、この後すぐに授業の場面へと繋がっているが、ここではいたって普通の授業風景が広がっていたからだ。
被害妄想というか、そうとう参っていたのだろうと予測する。
というか、普通に現実に起こった出来事ならこんな言葉問題になるわ。
このストーリーとは関係なさそうだが、先生のいじめを看過する場面もあり、学校側にも問題があると言われかねない。
無限の前には、たとえ何億年経とうが一瞬の瞬きに過ぎない。
その言葉のせいなのか、武井や小沢から受けた恐喝や暴力のせいなのか、はたまた学校の雰囲気にのまれないように、洗脳されないよう藻掻き苦しんできたのか知らないが、ますます世界は滅亡し、新たな世界が始まるという空想に囚われていく。

二次元との意思の疎通。
その後に流れる学校のチャイムの音が不穏で恐れを感じさせる。
何となく、さよ教を思い出した。
リリルという唯一絶対の神にも等しい存在を認識できるようになった卓司は、その身を万能感で満たし、60人強の信者を手に入れた。
もう怖いものなどない。
ただ、彩名だけは敵視しているのであるが。
12の信徒。ユダ。
キリストもユダが裏切り者である事を知っていた。
それでも、最後のその時まで彼に何もしなかった
とある。
一般的には、その説で知られる、ユダとキリストの関係。
だが実は、ユダこそがキリストの真理を教わっており、裏切り行為自体もイエスの言葉に従っただけという説が出てきた。
それは、ユダの福音書という、公式な聖書以外の書物(外典)である。
へー、というか、あんまりそこまで議論するまでもないことかもしれん。
今まであった不完全な世界から完全な世界へ至るその門こそが終ノ空。
そこに導くための働きを担う者が、兆しへの予還者である、卓司なのだ。
という解釈でおk?

うわあ

ww
ステッキ、よく見たらあの目をしている。
解像度が上がっていると目を瞠って言う卓司を他所に、他の人の身体を使って憑依したの、と言い出す。
それは、多分、彩名じゃね?

この場面、彩名に性行為をするが、remakeではリリルにするみたいだ。
リリルの肉体は妄想上の存在でしかない。
またその後のシーンでは、身体も無い高島さんとヤったと思っており、妄想上の性行為に及んでいるのだと思うが。
B棟の屋上で、彩名を裸にした挙句、繁華街に行き、リリルと会って、そこでしでかした性行為の数々。
それに加えて、自らは傍観者であり続け、ペニスも扱くこともないままに射精した。
自殺するときは、どうあがいても躊躇してしまう。
たとえ、カルトに唆され自殺をするように命じられていたとしても。
でも、実際僕は何歳までいきたいのだろう。
幸せなことがずっと続けば良いのになと思うが、その状態が未来永劫まで続くと考えると、拒否してしまう。
慣れてしまって惰性で存在しているということに他ならない。
運命に対して負けた。
負け犬だ。
生きようとするか、しないかの差だ。
人は、生への意志があるからこそ、絶望する。
絶望の果てに自ら死を選ぶこともある。
その絶望や自殺を否定するべきではない。
絶望そのもの、そして幸福そのもの、それらを生きる事の価値とするな
生きる事は生きる事であり、それ以上でも以下でもないのだ。
生きる事とはなにか?みたいな問いを道徳の授業でされた記憶がある。
そのことが、昨今発生している残虐で不可思議な事件や事故の火種となっている節もあるのではないだろうか。
子供たちは、大人に生きる事はなにか?を問われたら、何らかの意味や意図が隠されているんじゃないだろうかと推察し、それに答えを出す。
教師の「嘘」に塗れた価値観を洗脳された子供たち。
子供たちにとってはその世界こそがすべてだ。
そして、答えにそぐわない人に対しては憎悪を膨れ上がらせていき、ついには殺人に至る。
殺害には至らなくても、人を暴力を振ることも往々にしてありうる。
生きる事は生きる事であり、それ以上でも以下でもないというように考える子供は少ないと思うし、何らかの価値を生み出せる人こそが生きる価値のある人だというように教えられたら、子供の脆い心は能力主義のように育ってしまうのかなと思った。

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