行ってきました。
実はこれでもう5回目の訪問。
- 1回目は祖父とともに
- 2回目は林間学校のちきに
- 3回目は母と共に
- 4回目は3年前自分1人で
- 5回目は今回の訪問
大師教会総本部
中にはいろは歌もあります。
高野山常喜院 地蔵尊
金剛峯寺
ここは、秀次が自刃した“柳の間”があります。
屋根の上には天水桶という雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしたものがります。
金剛峯寺 鐘楼
この鐘楼は、金剛峯寺の前身である青厳寺の鐘楼である。その構造形式から万延元年(1860)に山上の大火で類焼後、大主殿などの建物と共に本鐘楼も元治元年(1864)に再建されたものと考えられ、桁行3間…と書いております。
東塔
白川法皇の御願により大治二年(1127)に落慶した。中尊は専勝仏頂で脇仏は不動と降三世両明王である…云々。
三昧堂
大会堂
大食堂と一瞬見えてしまった。
不動明堂
愛染堂
後醍醐天皇の御願により、建武元年(1334)に建設された。本尊の愛染明王は天に向かって矢を射る姿から天弓愛染明王と呼ばれる。
恋のキューピット役というわけだな。
根本大塔
壇上伽藍
大塔の鐘
なおも1日に5回もの鐘の音を響かせているようだ。
金堂
准胝堂
後鳥羽法皇の御願により正治二年(1200)に落慶し、仏師快慶作孔雀明王を安置した。…
西塔
金剛界大日なども祀っているんだとか。
西塔正面
御社(みやしろ)
御社(みやしろ)と山王院
たぶん、̠三十六歌仙の絵馬らしきものが…
六角経堂
なんと、右回りに回るらしい!
そんでもって、中門
柱聯の意味とは・・・?
日々の影向(ようこう)を闕(か)かさずして
処々(ところどころ)の”ゆいせき”(遺跡)を検知(けんち)す
という意味らしく
「影向(ようごう)」とは「神仏が仮の姿をして現れる」、闕は「欠かさず」を意味し、遺跡は”いせき”と読まずに”ゆいせき”と読み、これは「過去の人物が残した財産、所領、地位」を示します。
これらを合わせると、『日々、神仏が姿を現して、縁のあった場所を巡りながら人々を助けている』という解釈になります。
しかし、これでは何を意味するのかが分かりませんが、高野山で第一にお祀りする神仏と言えば、やはり弘法大師・空海その人です。
すなわち、『日々、お大師さまが奥の院(御廟)から姿を現して、縁のあった場所を巡りながら人々を助けている』という解釈になります。
そしてこれが大門
仙台 伊達家之場所
伊達政宗・・・?
豊臣家次もここに眠ってるのだろうか・・・?
女人堂
かつては、高野山は女人禁制の都市であり、ここ女人堂から先には入れなかったという。
いかがでしょうか。
高野山と言えば町全体が宗教都市というイメージがありますが、行ってみると撮影はしていないのですが寿司屋さんの店員さんが優しくしてくれたりとなかなか満喫できたように思えます。
皆様もぜひ行ってみてください!