化野念仏寺は重たい空気が漂っていました

呟き
2017年1月31日/2月1日に行っていきました。
場所は京都でも有数な竹林があることでもよく知られている
嵯峨野鳥居本に存在している化野念仏寺(あだしの)と石仏で有名な愛宕念仏寺(あたご)に行ってきました。
本当に江戸時代か何かへタイムスリップしたかの風景、長閑な風景ですね。
茅葺きの屋根が多い、これが日本伝統の屋根なのかとも思ってしまう。

これはトーラナ(鳥居)
あれ?ここ神社じゃなく寺だよな?と思っていたのですが、インドの仏教やヒンドゥー教では一般的だったそう…
これが西院の河原(さいのかわら)
この画像はWikipediaよりいただきました。
実は西院の河原と水子地蔵は撮影禁止されているのでこのような処置を取らせていただきました。
化野念仏寺は清水寺や大谷本廟に通じるあたりの鳥辺野と蓮台野と並ぶ風葬の儀式が執り行われた京都において三大風葬地ですが、一説によると京都一の観光名所となっている清水寺は宝亀9年(778年)それらの霊を供養する為に音羽の滝の近くに社を建てたのが始まりという説もあります。本殿が高い所にあるのは、死者の匂いがあまりにも強い為であったといわれています。また「清水の舞台」が突き出しているのは死体を投げ捨てるためだったとかなかったとか。
あだし野の
露消ゆるときなく、
鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
化野の石仏には常に露が滴り鳥辺野の山では煙が消えることがない。
人間が永遠に生きるものだとしたら、いかに世の中はつまらないものだろう。
この世は無常であるからこそ美しい。
と表現されるように、この化野という言葉には枕詞を指し示す意味も込められているようです。
平安初期の811年(弘仁)真言宗の開祖・三筆の一人である空海が疫病が流行っていた都を訪れた際人々に土葬を教えました。化野にある無数にある野ざらしにされた遺体を哀れに思い、また疫病の発生を抑える為に遺体、遺骨を埋葬しその上に1000体の石仏と堂を建て、五智如来寺と称したのが始まりと言われています。
細い竹林の道を抜ける。
深々とした静けさの中で少し神秘を感じることさえあった。
石柱に六面体の地蔵菩薩の像が彫られています。
六道輪廻と言って、人間は死ぬと六つの世界を行き行きしています。
仏教はその輪廻から抜け出し解脱して悟りの境地に達しようとするのが仏教の本来の志向なのです。
次、別の日に撮りましたが、これは別々に投稿しなくてもいいでしょう。
つくと早速、羅漢が待ち受け。
よく見ると表情が豊かでとても和やかになりました。
赤ん坊を育てている羅漢(?)や笑っている羅漢までいます。
結構多いし表情の方も豊かではあるのでいろんな角度からも見てみると色んな発見があるかもしれません。

ちなみに羅漢とは
阿羅漢の略で釈迦の直弟子のうち位の最も高いもののこととしており
煩悩をすべて無くした人のことで修行者が到達し得る最高位で
学道を完成してこれ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を無学位とも言うようです。

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