応神天皇陵を祀る誉田八幡宮に行ってみた!

呟き
今回は八幡社で最も古いと言われる羽曳野市の誉田八幡宮を参拝してきました。
昨年、世界遺産に決定された、百舌鳥・古市古墳群の代表的御陵の応神天皇陵(誉田御廟山古墳)を祀る神社であり源頼朝公の神輿の寄進や多くの武士の崇敬の社として、また古くから地域の信奉を集め
全国で唯一の天皇陵入場の祭り「渡御の神事」がなされる神社です。
唐破風造の屋根。
両端の柱にある龍の彫刻がありますが
(向拝にある龍の彫刻)これがこちら側を向いている神社は格式が高いのだとか。
放生橋
今回は特別な許可の下で柵の中に入っての撮影。
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何年か前までは渡御する祭りのたびにこれを進んでいたみたいだが
百舌鳥・古市群古墳が世界遺産に登録される以前から
文化財などの調査で劣化していることが判明、今は別の橋を使って天皇陵に渡御しているようだ。
全国でのココだけのお祭り事で中に入れる応神天皇陵古墳ですが
戦国時代、大坂夏の陣の際にはこの応神天皇陵古墳に
豊臣側の武士、真田幸村が後円のあたりに籠城、そこで敵を討とうとしていたようだ。
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応神天皇と武内宿禰(たけのうちのすくね)の図、舞楽面や
まるで日野光風氏の持っていたような座太鼓もおいてあった。
あとはだんじり。
檀輾(だんじり)5月8日、若宮〈夏祭り)の例祭に檀輾二輌出る。上に作り花をかざり手摺以下に、さらさ模様の幕をたらし、車上には楽人、稚児をのせ、笛、太鼓、鉦はやしたて村内東西にわけて、二十歳以下の若人に曳かれた。

この檀輾が曳行されたのは、明治までで現在はほねぐみを残すのみである。

(誉田八幡宮 公式サイト
今と違って京都にある祇園祭りに使われる山車に似ている。
今の私たちは古くから先人の方々が祀り、守ってきた歴史に触れその思いを受け継ぐ事の大切さを知りこれからの現代を未来に伝えていくことが大切なのだと感じました。
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