縁が人を呼ぶ物語に興味を惹かれた作品だった。
人は誰かを生かし、生かされているということをはっきりとわかった。物語は、「自分の守りたいと思う人のために散っていく人」と「自分の守りたかったに対する執着を捨てしぶとく生きていく人」に分かれていくが、文鳴ルートと吐月ルートでは差があるみたいだ。
人は誰かを生かし、生かされているということをはっきりとわかった。物語は、「自分の守りたいと思う人のために散っていく人」と「自分の守りたかったに対する執着を捨てしぶとく生きていく人」に分かれていくが、文鳴ルートと吐月ルートでは差があるみたいだ。
文鳴ルートは、珠夜と関係も含めてその人が醸し出す性格に心が震えた。一方、吐月ルートでは、木っ端微塵にほとんどの方がやられてしまい、二ツ栗一族の血を根絶やしにする目標を果たせた怨霊は天へと昇っていったのだった。
こちらの方が現実的といえば現実的だな。
こちらの方が現実的といえば現実的だな。
村の因習に囚われて生活をするが、その生活から救い出そうとした『Erewhon』とは違い、『鏖呪ノ嶼』は自らが招いた縁で自らも滅び行く。そういったところでは因果応報ともいうべきことなのか。
また、二ツ栗一族が秘密裡に経営に関与していた「天網光明の会」という宗教組織は、「天網恢恢疎にして漏らさず」を思い出した。というか、逃げおおせたかと思ったが、自分がこれまでしてきた悪事を暴かれる意味は、呪術を使うという姿形は違えども、ことわざの意味とその会の陰謀が似たり寄ったりではないかと思った。
OP主題歌: Love to Hate You (『Industrial Rock』より)
ED主題歌:過去は灰に、未来は塵に
プレイ時間:20時間弱
アイコンをデスクトップに作った方は【物語を追う】まで差し掛かったとき、アイコンが変化している。そういう細かいところまで作られている。しかも、UIではバックログ機能は勿論、ジャンプ機能まであるし、総プレイ時間やシナリオ既読率も把握できるシステムがあってとても使いやすかった。
幸せとか不幸せとかいうよりも、人間は生まれ落ちた瞬間から地獄に産み落とされている。そのうえで、その地獄で嬉しい事や楽しい事、哀しいことなどの喜怒哀楽を踏みしめて生きていこうかなと思うことのできた話だった。
幸せとか不幸せとかいうよりも、人間は生まれ落ちた瞬間から地獄に産み落とされている。そのうえで、その地獄で嬉しい事や楽しい事、哀しいことなどの喜怒哀楽を踏みしめて生きていこうかなと思うことのできた話だった。
「必ずしも幸せじゃなくても生きてはいけるし、幸せじゃない日々の中でも、小さな喜びや楽しさは何かしら見つかると思うから」
ということも想像上の月夜さんも仰っていたように。
苦松刑部は、偲を家族ごっこに引っ掻き回すことで、何を求めていたのか。寂しかったのか。何年も島に住む、それも浮世離れた島に住むということは、相当の覚悟が必要であり、家族を持ちたい欲に抗えなかったようであり、テレビドラマのように悩み事などを打ち明ける、そんな関係を望んでいたようである。だが、力で以って強いられた思いは、力が無くなれば効力を発揮しない。毒親に育った子はいつか親を諦め、手放していくように。
塔婆不二彦は、二ツ栗 珠夜のことを愛していたが、遂にその方と結ばれることもなかった。塵は塵に、灰は灰へと帰っていくように。彼は珠夜を護るための仕え人である。しかしその縁が紡がれるのかと思いきや、刑部により、男の急所を破壊されそのまま死亡。哀れな最期を迎えることになった。一応、刑部の足止めをする役目は終えられたので、犬死ではないのだが、報われないな……。
同じ報われない人では、吉延もたぶんそうなのだろう。吉延は女傑である菊乃に良いようにひっかき回され、自分の人生を呪っている。見えない部分では葛藤もあるに違いないとはいえ、二ツ栗一族の当主ではあるので、死ねば恐らく地獄行なのは確実かな……。
一番救われない人は窓木希美だろうな……。
一番救われない人は窓木希美だろうな……。
サエでもこれとよく似たセリフを十子に言っていたのを思い出した。

金平糖、蛭など晴茂のすることの正体がいまいちよくわからなかった。まぁたしかに、栄養補給は大切なことだろうが。その怨念を晴らすのはごくまっとうであるし、それだけのことをしてきたのだから、そうなるのも必然というべきか。
エログロは控えめだが、それでも、四肢を切断されたり、蛭を食べさせられる身の毛もよだつほどのシーンもあった。蛭はあかんって……。
偲やカノはルートにより変わってくる。
吐月ルートでは、刑部の足止めとして力を発揮していくが自己犠牲であり、その命は少なくとも吐月の身に宿っていったようであった。
文鳴ルートでは、全員が生き残るという奇跡だともいえるし、呉越同舟した結果、宿敵である刑部を討ち斃すことに成功したようだった。島の因習(呪い)からは解かれた。だが、斜陽状態に陥っているが歓楽街は残っており、カノもそこで勤務している。怨みを晴らすことのできた偲は今も殺し屋をしているのか一般社会に溶け込んでいるのかは、杳としてしれない。
吐月ルートでは、刑部の足止めとして力を発揮していくが自己犠牲であり、その命は少なくとも吐月の身に宿っていったようであった。
文鳴ルートでは、全員が生き残るという奇跡だともいえるし、呉越同舟した結果、宿敵である刑部を討ち斃すことに成功したようだった。島の因習(呪い)からは解かれた。だが、斜陽状態に陥っているが歓楽街は残っており、カノもそこで勤務している。怨みを晴らすことのできた偲は今も殺し屋をしているのか一般社会に溶け込んでいるのかは、杳としてしれない。
全てを受け入れ、自分が軍神の生贄になることを所望した珠夜は相当な覚悟の持ち主らしい。
このゲームをしていて、観音経偈を思い出した。
呪詛諸毒薬 所欲害身者
念彼観音力 還著於本人
念彼観音力 還著於本人
という部分。
呪詛や毒薬で呪殺されそうになったとしても、観音様のお力を信じさえすればその念は呪殺しようとした本人に向くのである。
そういう造詣に触れる機会を与えてくれたようだな。

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